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Experimental Codes, writing, ideas.

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Jan
10th
Mon
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管理し切ることはできないから、せめてどこへ向かうかだけでも決めておくのだ。

Jan
2nd
Sun
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戻ってくるというか,そういう趨勢が見えるようなタイミングを見計らいたい。ただ受け身に待つばかりで,客足が戻ってきてから腰を上げても手遅れになりま すから。開発っていうのは,今求めれられているものよりも,数年後に何が来るかっていう読みで動きます。モノって作りだすと3〜4年後にようやく世に出せ る,そのぐらいのタイムスパンですから,今求められるものを作る発想だと,その時点でもう時代遅れ,負けてるんです。

http://www.4gamer.net/games/110/G011038/20101219003/index_2.html

Dec
21st
Tue
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総経理が何もかもを兼任しているうちは人が育ちません。育成が遅れると、総経理はいくら忙しくしていても最終的には肝心な「人材」がいなくなります。日系企業で何よりも遅れているのは人材の現地化なのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20101215/217550/?P=2&ST=spc_glbl

Dec
20th
Mon
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無尽蔵な食欲に対して身体がオーバーロードするとき、これは不摂生なだけだろうか?それともヒトの限界、不自由と呼ぶのだろうか?そもそも欲が無尽蔵であることが不自由なのだろうか?

#内省と他力本願的アプローチ、どちらが欠けても満足は得られないのだが。

Dec
8th
Wed
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一方、「問い」を共有した場合は、それによって、メンバーの思考を刺激し、新たなアイディアや状況にあった行動を引き出すことが可能になります。マネジャーが、メンバーの創造性や可能性を引き出すような問いの共有を促進すると、個々のメンバーのみならず、チームや組織全体の成長を促すことができるでしょう。

http://ctp.coach.co.jp/coaching/change/applied021.html?utm_source=mail&utm_medium=wc&utm_campaign=576

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書かれたものはひどく歪んだ近似であることを忘れてはいけない。近くで見れば直線かもしれないが、離れてそれを適用した時、ようやく乖離を発見し本当の形状に至るのが常だ。

これには時間がかかること、そして死ぬまで本質を見ることは出来ないかもしれないこと、さらには掴んだと思ったものがそうでないということがありうるということを知らなくてはいけない。

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そこを支配するのはスキーマ、常識と呼ばれるもの。社会通念的に構成され、長期にわたっては変化しうると考えられるもの。感覚とは分別できるようであるが、完全に断ち切ることは難しい。

これがある故に、会話では当たり障りの無いことしか言えないようなことが起きる。これに支配されてしまっているからだ。

しかし、ただ単にこれを無くせば良いというものではない。これは人を縛るが、片や人を規定しているものである。乱暴な開放は人を人でなくし、そうなればここまで構築したことはおよそ無意味になる、と思わせているものもきっと一種のこれなのであろうけど。無意識と刷り込みは事実より強い。

どうすればいいか?それを意識下に引っ張り出してくることだ。常識のブラックボックスをスケマに曝け出して分析してしまうことだ。そうすればそれがいつ動き、どんな機能を持っていて、肝心な副作用の出方まで分かる。ここまで来ればこれを騙すこともワケない。分析した後はこれを適切に、意識で運用ができる。そうすれば周囲との関連も以前と変わらず行え、ここぞというときでそれを捨て、より自由な行動の選択が出来るというわけだ。

そんなことをやっちゃいけないって?まず誰がそれを決めたのかよく考えてご覧よ。

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一つ申し上げておきたいことは、私も「ヒト」という枠組みの中からしばらくは、およそ80年ほどだろうが、解放されないだろうと思われる。すなわちそれま ではきっとヒトについてしか、ヒトの目を通してしか見ることは出来ぬ。拡張はもちろんできる。しかしそれに見えぬ限界、遠すぎる限界、そこに達することは決して無いのであるが、を抱えることを私は疑っていない。その外を知ることができるもの(その存在すら私たちは知覚できぬかもしれぬ)を私は羨ましくも思うが、果たしてそれに成り代わることは特に生きる上で価値もなさそうだしやりたくもない。与えられたものがなんであるのか、それをどう用いるのかを熟考するべきである。

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こうして生きている限り、自己の完全な客体化は得られないものと思ったほうが良いらしい。

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認められさえすれば何だって出来る。協力による力は無尽蔵である。

そうでなくても出来る奴が「天才」であり「狂人」であり、「英雄」であり「独裁者」である。おそらく彼らは認め「させてしまう」のであろうけど。